藤田騎手電撃引退。思い出はシルクジャスティス、衝撃はフサイチコンコルド。
JRAの藤田伸二騎手が9/6(日)の札幌7Rを最後に騎手を引退したというニュースを
本日9/7(月)に目にした。
わたしが競馬を見始めたのが1992年だったので
藤田騎手は私の競馬人生において、ほぼ同年代ということもあり
かなり思い入れの強い騎手の一人です。
その1992年は、エリザベス女王杯(G1)でタケノベルベットでG1を勝っている。
当時は現在のように古馬混同ではなく
秋華賞のような位置付けで3歳牝馬による2,400mのG1レースだったわけですけど
まったく眼中になかった馬が勝ってしまって、「なんだコレ」という印象が
鮮明に残っている。
のちのティコティコタックと同じ衝撃。(ティコティコは確か別の騎手)
競馬を始めた頃は重賞でもちょくちょく勝って、
武豊と並んで乗れる騎手だなーという印象を強くもっていたものである。
1996年はそんな藤田がダービーを勝った年であり、
わずかデビュー3戦でダービー制覇にフサイチコンコルドを導いたのである。
ゴール板手間で先に抜け出したダンスインザダークをとらえるシーンが記憶
にのこってます。
ゴールを通過した後、ダンスインザダーク騎乗の武豊をタッチしたのが印象的でした。
そのコンコルドはその年の菊花賞の3着を最後に引退している。(G1はダービーの1勝)
馬券的に一番の思い出は、その翌年の1997年のシルクジャスティスの有馬記念です。
シルクジャスティスはメジロブライトと同じ世代でダービーで猛然と追い込んで2着した
実績が認められて、菊花賞1番人気、しかし5着。
ジャパンカップも好走はするが勝てずということで4番人気でむかえた有馬記念。
その年はマーベラスサンデーのほか女傑の活躍が目覚しく、エアグルーヴ、
メジロドーベル、ダンスパートーナーといった面々との対決だったわけですが、
4角回って、直線で先に抜け出しをはかったペリエ騎乗のエアグルーヴ、そしてそれを
待ってましたと言わんばかりに襲いかかる武豊騎乗のマーベラスサンデー、
この2頭の争いかと思われたところに、藤田騎乗のシルクジャスティスの末脚が
炸裂するのである。
(しかし、シルクジャスティスは有馬記念で完全燃焼したかのようにその後は1勝もできなかった。)
主な騎乗馬
藤田騎手の主な騎乗馬を最後に列挙したいと思います。
トランセンド
シルクジャスティス
ヒルノダムール
ローレルゲレイロ
ショウナンカンプ
ムッシュシェクル
スターマン
シンゲン
ダンツフレーム
アイポッパー
フサイチコンコルド
マサラッキ
シルクプリマドンナ
アサクサデンエン
タケノベルベット
ツルマルツヨシ
今回のニュースを見て一番驚いたのが、フェアプレー賞を幾度となく
受賞していたことです。
最近のJRAの裁定方法の変更など、私達一般の人からみてもおかしいと思うところ
騎乗など、ズバズバ意見を言えるところも自分自身がやってきた誇りの中から
だまっていられない部分もあったと推測しています。
わたし自身の競馬人生においても永遠に記憶に残る騎手と思います。
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